曽木の滝公園@鹿児島県伊佐市、のファンサイト

曽木の滝と豊臣秀吉

豊臣秀吉と曽木の滝

曽木の滝公園内にある「清水神社」の説明書きの右下に
ひっそりと貼られていた、一枚の新聞切り抜きのコピー。

ここに、豊臣秀吉と曽木の滝、そして、当時、
伊佐市大口を治めていた「新納忠元(にいろ・ただもと)」
に関する話が書かれていました。

画像の説明

↓右下、貼紙を別撮りしたもの

画像の説明

以下、文字おこしをしています。

豊臣秀吉と曽木の滝(ふるさと散歩95)

天正15年(1587)5月、川内の
泰平寺(たいへいじ)において、
豊臣と島津の和議が成立した時、

島津義弘が秀吉に帰路をたずねたところ、
「祁答院に出て、曽木の滝を見物し、
大口より肥後に帰らん」と答えている。

そこで、秀吉が曽木の滝を見物したときの
話がある大口地頭・新納忠元(にいろただもと)は、
滝を案内しながら、観音淵の上に行き、
そこから滝つぼの、けい流を見ることをすすめた。

忠元は心の中で、秀吉にすきがあれば、
滝つぼに秀吉を突き落とし、
殺してしまおうと考えていた。

ところが、秀吉もさるもの、
忠元の心の中を見通して、
忠元が滝を案内する間、
忠元の袖をしっかりつかまえ、
体をすり寄せ、一時も放さなかった。

袖をつかまれた忠元は、どうすることもできず、
人の心を見抜く力に、
心から敬服していたという。

秀吉は何事もなかったかのように
忠元と別れ、無事帰京した。

(ここまで)
・・・・

曽木の滝の見物と称し、
秀吉を曽木の滝に落として殺してしまおう…
という目論んだ、忠元公。

一方、その目論みを見破り、
ずっと袖を持って、付いて回った秀吉。

大河ドラマで使われそうな、
ワンシーンですね。

このような歴史を知っていると、もっと
曽木の滝の見方が楽しくなるかもしれません^^


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